教職大学院生の考え方~学習指導要領編~ 七日目
皆様、本日もお疲れ様です!
今日は曇っていてどんよりしていますね。自粛日和かもしれません笑
さて、本日は私の教職大学院生としての見方を書いていけたらと思います。
特に、教育が専門ですので、学習指導要領についての意見を書いていけたらと思います。
どうぞ最後まで見ていってください。
目次
・学習指導要領とは
・どんな風に使われているの?
・わたしの意見
学習指導要領とは
まずは学習指導要領とは何かについて書いていきます。
学習指導要領とは、文部科学大臣が公布する、教育の方向性と指針を示した法的拘束力を持つ文書です。
無論、法的拘束力を持つため、学校の教員はこの内容を守らなければなりません。
また、時代と共に教育の内容も変わるので、約10年ごとに作り替えられています。
例えばゆとり教育や、外国語科の教科化は、この学習指導要領の変遷の中で制定されていったものと言っても過言ではありません。
どんな風に扱われているの?
教師は授業を行う前に計画案を書くことが多いです。
これを学習指導案と言います。
この指導案の書き方は人や自治体によって大きく変わりますが、核となる部分は変わりません。それは、
目標 です。
目標を立てて指導案を作ることはどんなものでも変わりません。
この目標を立てるときに利用するのが「学習指導要領」です。
むしろこれを使わずに作るなんてことはありえません。
これが学習指導要領の存在意義でもあります。
わたしの意見
ここまで当たり障りのないことを書いてきましたが、本編はここからです。
私個人としての学習指導要領についての意見を書いていきます。
学習指導要領は、最終的にはなくすべきだと考えています。
というのも、国家が教育の方針を冊子にして配っている国はさほど多くないからです。
教育基本法や憲法の精神に基づいて自由な教育を行っている国のほうが圧倒的に多い現状があります。
詳しくはこちらをご覧ください。
また、教科書についても検定を設けない自由採択の国が世界的には多いのです。
この現状で、なぜ日本は学習指導要領があり、教科書は検定制なのでしょうか。
一つには戦前の教育に対する反省からという点があるかもしれませんが、国家が介入しているのでは戦前の教育の形とあまり変化はないのではないでしょうか。
私としては、日本の教師を信じていないように見えて仕方ないのです。
というのも、指導要領が改訂されるたびに冊子が厚くなっていくのです。
具体例が多く乗っており、もはや説明書といっても過言ではないでしょう。
確かにどのような教育を行えばいいかはわかりやすいのですが、一方で教育の内容が絞られてしまうことも危惧されています。
そもそも教員一人一人は熱い思いを持っていますので、その思いを果たすことができるように国家がサポートしていくことが教育をよくすることにつながると思います。
以上のことから、少なくとも教員を信じて学習指導要領を縮小していくべきだし、教員が思いを具現化できるようにサポートするような書きぶりへと改訂していただきたいと考えています。
ここまで書いてきましたが、同時に国家の英知が結集して書いた文章ですから、相当に価値のあるものだとも思っています。
であるからこそ、この文章の作成に現場の先生の意見を盛り込んで、より熱いものへと変化してくれたらうれしく思います。
はい。ちょっと主観ばかりになってしまいましたね。今後はもう少し理論的に書いてみたいと思います笑
今日はここまでにします。
本日も頑張っていきましょう!
お疲れ様でした!