9月入学って結局どうなの?〜教職大学院生の視点ではこう見える〜
最近コロナの影響で入学時期を9月にした方が良いのではないかという議論が活発に行われていますよね。
我々は4月に桜の舞うなか入学して同じく桜が咲き誇っている時期に卒業するのが当たり前のように思っていると思います。
それではぶっちゃけ、9月に入学を行う制度というのはデメリットばかりなのでしょうか。
今日はそんなことについて考えていきたいと思います。
目次
1 どうして9月入学説が出てきたの?
そもそもなんで9月入学なんて話が出てきたのでしょうか。
日本は学校制度が始まって以来ずっと4月入学だと思われていますが、実は違います。
明治時代、1872年に学制が敷かれた頃には9月入学であったと言われています。
その後の政治の改革で、会計年度(一年間のお金はこの間に使いますよという区切り)が4月から3月までと定められ、学校もその年度に合わせたのが日本における4月入学の始まりです。
その後は特に議論がおこるでもなく、4月入学が定着し、入学ソングなども国民の間に定着してきたというのが現状です。
民間では少しだけ議論が出てはいました。
というのも、4月入学の国というのは、あまり多くありません。
筆者が調べたところ、インドとパキスタンぐらいしか4月入学にはしていません。
とはいえ、これは文化や歴史が関わってくるので、一概におかしなこととは言えないでしょう。
そこで、日本における4月入学のメリットとデメリットをまとめていきたいと思います。
2 9月入学のメリット
(1) 欧米諸国の基準に合わせることができる
先ほど4月入学の国はほとんどないと書きましたが、その他の国はというと、多くの国が9月入学を採用しています。
これについては、諸説ある中で、農業スケジュールとの兼ね合いが最も大きいと言われています。
夏の農繁期に合わせ、落ち着き次第入学という形らしいです。
それを考えると稲の収穫が落ち着いてから入学という意味で冬の入学も視野に入るのではないかと考えてしまいますね。
何はともあれ、欧米が9月入学を採用していることから、海外の学校事情に合わせることができるのは大きなメリットと言えるでしょう。
(2) 海外への留学がしやすい
海外の基準に合わせるということは、海外の学校への入学、または留学といったことがしやすくなるのもメリットの一つです。
例えば大学を卒業したのちに海外の大学院に入学することや、高校の途中で海外に留学するといったことが難なくできるようになります。
今のままでもできなくはないのですが、大学卒業後に半年の空き時間ができてしまうことや、単位の兼ね合いで留学のために高校への在籍期間が増えてしまうことが予期されるため、よりスムーズになるというのはメリットです。
また、この制度の導入によって留学をしようとする学生も増えるかもしれませんので、そうした学びの拡充が予想されます。
(3) 2020年においての学びの機会の確保
特に今年においてはコロナの影響で学びが十分なもの出なくなってしまっていることも予想されます。
少なくとも9月までの間、今までの精度で学びができるとは言えませんし、そもそもそうしたことを通達している学校もあります。
今までと同じ学びが復活するのには時間がかかるでしょう。それならせめて半年伸ばした9月入学に設定することで学びにおける学年間格差を生ないことができると言えます。
現状、評価を行うことも難しいところです。
いわゆる評定は付けざるを得ませんが、家庭への通知表などの提示は非常に厳しいです。
それならば落ち着くのを待った方が子どものためと言えるのではないでしょうか。
(4) 夏の受験を実現できる
今は受験というと雪が降る中受けにいき、梅の花とともに合格発表を見るといったことがイメージできます。
しかしながら、冬の受験には体調不良、特にインフルエンザがつきものです。
それに交通機関が麻痺し、受験ができないなんてこともあり得るのが現状です。
その点夏の受験であれば夏風邪の問題と熱中症の問題を回避すればメリットが多いです。
体調不良のために追試となれば、追試を作る教員の負担も大きいですし、交通機関の麻痺によって苦汁を飲む子どものことを思えば感情論ではこちらの方がよく感じます。
また、夏であれば地域間格差が大きくないというのもメリットの一つでしょう。
雪降る町と降らぬ街ではどうしても格差が生まれてしまいます。
それを回避するためにも夏の受験を実現することは議論しなければならないと思われます。
3 9月入学のデメリット
(1) 未就学児の犠牲者をうむ可能性
未就学児がどのように入学していくかについてはいまだに議論が絶えません。
9月入学を実現するとすれば、来年4月から入学予定だった子どもの扱いが問題になってきます。
今年度から前倒しで入学にするのか、半年伸ばして入学にするのか。いずれにしても0歳から5歳までの子ども全員にしわ寄せが来ます。
これは成人年齢の引き下げの時と似た議論であると思われます。
あの制度の導入で、19歳の人々の、成人したという確かな実感が湧きにくいという犠牲がありました。
今回も例外ではないでしょう。今後何十年分のために犠牲を生むことが果たして正しいことなのか。これは議論を深めなければなりません。
(2) 経済的負担が大きい
先ほどの話と重複しますが、子どもの入学時期の変化によって保護者の負担はとても大きくなります。
入学時期が伸びればその間の養育にかかる金額も変わってきますし、前倒しで入学となれば逆に一気に物を揃えなければなりませんから、やはり大きな負担です。
保護者にとっての準備の期間が設けられない、あるいは猶予がありすぎるというのも大きな問題点になってくるのではないでしょうか。
(3) 学校現場の負担増
家庭や子どもが大きな負担を持つのと同じように、学校現場も大きな負担を抱えることになります。
学校現場では大体の一年の流れを毎年踏襲しているのは言うまでもないでしょう。
その予定については教務主任の先生を中心として学校全体で作り上げていくものです。
しかしながら、その前提が用いることができなくなれば、一からのスタートです。
例年通りでなくなることがどれほどに大変なことか、想像がつくでしょう。
1から2や3にしていくことに比べて、0からのスタートとなればただでさえ多忙化が深刻な学校現場が今まで以上の多忙を余儀なくされます。
政治判断で9月入学にするにしても教師のことを考えれば少しは躊躇が生まれてもおかしくはないのではないでしょうか。
4 教職大学院生はこうみる!
さて、ここまで簡単に見てきましたが、結局のところ筆者はどう見るのか。
個人的な考えとしては、9月入学は導入すべきだと考えます。
それは、多くの犠牲や困難はあったとしても、制度改革をするタイミングはここしかないと考えるからです。
そもそも文部科学省にとどまらずに日本全体がグローバル化に向かっていると公言している状況で、政界標準に合わせていない点は矛盾点だと思われます。
対外的な標準に合わせることで日本の学力や人材の質の向上が図れることは言うまでもありませんし、新たな技術に足る日本人が生まれてくるのだと思います。
もちろん、そのために辛い思いをする方はごまんと出てくるでしょう。
あとは今を生きる人々の負担を軽減するか、今後の未来を伸長していくために我慢するのかの選択になると思います。
これはまさに政治選択ですので、今後の政権のやる気と勇気次第かと思います。
(もし9月入学を導入したら最悪政権が倒れると思うのでまさに勇気次第です。)
という感じで、教職大学院に通う私は文部科学省などがいうことに迎合することはしません。
教育者であり研究者という存在を目指す私は、文部科学省よりも先を見据えていきたいと思います。
ですから政府に反することも言うかもしれませんが、決して反逆者になりたいわけではなく自分自身を高めていくためということなのであしからず。
それでは本日はこれぐらいにします。
本日もお疲れ様でした!