現役小学校教諭の日常

現役小学校教諭の「M」が、実際の講師生活について書いていきます。

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いじめ体験暴露小説 「これぐらいで「いじめ」ですか」 第一章〜痛みを知った小学生時代〜

 

 

 

 

 

 

 

はじめに

 痛い 痛い 痛い   でも本当にこれが痛みなのか。いまだに私はわからないのです。話に聞く「いじめ」の話はなんて残酷で、計略的で、ミステリアスで、それでいて感動的なのだろうか。それに比べると私がこれから話す実際の話はとてもシンプルであって、ストーリーの分厚さを求める人からするとひどく暇なものかもしれません。

 でもこれが現実なのです。と言いますか、残酷な事件の裏側ではこうした裏切りや簡素な出来事はたくさんあるものです。それを知ってもらいたい。そして私がいじめを乗り切った、その事実とそれを越えて努力をした結果今の地位があることを褒めてもらいたい一心でこの文章を書いている次第です。あんまり深く考えないでください。所詮は小さな一人の人間の戯言です。暇つぶしか、あるいは自己投影か、そして流し読みか。そんな気分で読んでもらえるだけで私は至極救われるのです。そして読み始める前にもう1つ。「あれ?」と思ってもなんとか最後まで読んで欲しいのです。きっと、「いじめなのか?」と言う考えが浮かぶのだと思います。でもその考えをもう一度洗ってみて欲しいのです。この暴露話の中の、どこがいじめなのかと。むしろ、これがいじめなのだと思っていただけるのなら、幸甚に思います。

 

  • 痛みを知った小学生時代

 

 

 

第一節 プロローグ〜出口〜

 街中を流れる土手のすぐ横の学校はその日、快晴だった。足跡のステージで行われた小学校の卒業式で私は、号泣をした。号泣とは声を上げて泣くことらしい。だとしたらこの言葉が正しいだろう。初めて着る正装に身を包み、なのにもかかわらず燕尾服の尻尾のひらひらを、留めておく糸を切り忘れるという失態があったのが思い出だ。我が家はスーツを着る文化がなかったため、忘れてしまったのは仕方がないのだろう。さて、私は何故泣いたのだろう。それは「いじめ」からようやく逃れることができたからだ。だからこそ、号泣できたのだと思う。あるいは号泣することが決まっていたのかもしれない。これがゴールで、終わりだと思っていたのだから。

 

 

第二節 終わりが始まった

 私は比較的大きな駅に近い小学校で6年間を過ごした。この学校は、規模は大きくはなく、2クラスか、多くても3クラスの学年で構成されていた。歴史は古いが人は少ない。そんな印象であった。4年生の頃に、「いつまでもずっと小学生でいるような気がするな」と思いながら雨の中校門をくぐったのを覚えている。今思えば学校が楽しかったのだろう。3年生の頃に勉強した図形の授業の時に担任の先生に言われた「天才」という一言はいまだに覚えているし、そうした一挙手一投足が自分の人生を構成していることは間違いがないだろう。教師の力とはなんて偉大で、強大で、際限のないエネルギーなのだろうか。いまだに私はこの恐ろしい力が信用できないのだ。しかしそんな期待溢れることも、これ以降はなかったのかもしれない。

 小学校5年生の頃だろうか。私は若干勉強ができるようになっていた。本当に若干だが、テストは基本満点であったし、話し合いやまとめの作業でも中心となって行うなど、教師が求める児童の姿を考えて行動していたのだろう。理由はわからないがこの頃からいじめを受け始めるようになった。無視や、あだ名だ。そのころは漫画の「ブリーチ」がはやっており、私にはそのキャラクターの一人である

「ザイロアポロ」

というキャラクターの名前がついた。ザイロアポロは一言で言えばナルシスト。今思えば私の言動がキザで、ムカつくと思われた上で、小学生が知っている単語としては「ナルシスト」が当てはまったのだろう。五年生が終わるまで、また、六年生になっても続いた。この頃になるとみんな当たり前のようにナルシストと呼ぶようになり、ザイロアポロというキャラクターはナルシストと同義に扱われ始めた。授業中ですらそう呼ばれ、私は自分を否定されているような気持ちになり始めた。教師はそれを知っていたのだろうか。今となってはわからない。

 

 

 

第三節 戦い

 六年生の私は今思い返してもかなり努力家だった。まず何よりも児童会に入ったことが大きいだろう。教師がいきなり、

「児童会に入りたい人は。休み時間の後に手をあげてください」

と言い出し、私は手をあげたのだ。こんな私にも友達はおり、相談の上での判断だった。これで少しは変わるだろうと思っていた。少しでも目立つことでいじめようとすることもなくなるのではないかと思ったのだ。甘かった。そんなわけはない。周知のように出る杭は打たれるのだ。私は打たれ続けた。ナルシスト、ザイロアポロ、、、そんな言葉は止まることはなかった。あまりにも当たり前のように言われ続けたために慣れてしまっていたが、私の精神は少しずつ蝕まれていったのだ。

 六年生になってからというもの、不安は募るばかりだった。これはいつまで続くのだろう。中学校に行っても変わらないのだろうか。そう考えるとストレスが溜まりに溜まった。この頃私は、「過敏性腸症候群」になった。とは言っても診断が下っているわけではない。診断は受けなかったのだ。少しずれるのだが、この話もしておこう。

 ご飯を食べた後、お腹にガスが溜まってきつさを感じる、これが私の症状だ。正直な話、いまだに続いている。6年生当時は集会やテストが5時間目にあると不安で不安で、もはや耐えられないと感じるまでになった。月曜日が来るといつも憂鬱。一週間頑張ろうと思っても折り返しにはもう限界。毎週木曜日は休むということが増えてきた。休んで家にいることがとても快であった。このことはもちろん親にも相談し、病院に行きたいという話をした。自分でも調べ、精神的な理由があるのだと理解していたため、精神科にいかせてくれと言ったのだ。しかし、親からの回答は、

「精神病患者といわれたいのか」

というものであった。いまだに忘れない。それでもあきらめきれず、何度も交渉をした結果、病院に連れて行ってもらうことができた。しかし、「内科」であった。親は意地でも精神的理由だと認めなかったのである。そして医者も医者だ。

「気持ちの問題だから深呼吸をして落ち着くようにしようね」

とだけいわれ、診察は終わり。薬も何も出されなかった。何も変わらない。親とともに満足そうな顔をして帰宅したのだが、私にとってはさらなる不安と恐怖の種と変わり、より深く心を蝕んでいくことになった。

 もうこうなったら自分で逃げるしかない。私は中学校から逃げることを決意した。受験を決断したのである。受験をして、違う中学校に行くことでなんとか今のメンバーとはおさらばし、自分を守ろうと思ったのである。親にもその旨をはなし、塾にも通い、準備を整えて行った。もちろん理由は親には伏せて。

 しかしここで大きな問題が現れた。勉強ができないのである。お腹のガスがあまりにも酷すぎて勉強に集中できないのである。すぐにトイレに行きたくなるし、集中力が持続しない。そんな状態で受験をしなければならなかった。周りの塾生にはどんどん抜かされ、しかも一人で孤独な戦いをすることになった。さらに心が蝕まれていったのである。

 そんな私にも一筋の光がさした。初恋である。転校してきた韓国籍の女の子。私が学校に行く理由は彼女と会うため、そして見るためだった。本当に周りが全く見えなくなったのを覚えている。彼女はまさに一輪の、一輪だけの、一輪しかない花だったのである。さらに奇跡は続いた。修学旅行では彼女と同じ班になりディズニーランドに行くことができたのである。本当に奇跡だった。彼女とそんなに近い距離でいることができるなんて。夢でしかそんなことはなかったのに、実現したのだ。あぁ。神様はここから私の人生を転換してくれるのか。少し遅いじゃないか。待たせすぎだ。そんなことを思いながら曇り空の下、帰宅した。お腹はそれでも痛かった。

 

 

第四節 光明

 いよいよ受験が迫ってきた。年を跨ぎ、受験の日はすぐそこまできていた。ここで合格さえすればいじめから逃げることができる。奴らとは違う次元に向かうことができる。そして、自分が優位に立てるのだと本気で思っていた。しかしここでまたもや予想外の出来事が起きた。あの、一輪しかない花の女の子から告白をされたのだ。

 ある日、児童会長の女の子から呼び出しを受けた。そのことはもともと話すことも多かったから、また何か企んでいるんだろうと、そう思っていた。呼び出されたのは階段の奥、ちょうど一番下の階の少し奥張ったところだった。あぁ、秘密の話でもされるのか。そんなふうに思っていた私の前には花があった。あの女の子だ。なんでここにいるのか。信じられない。やめてくれ。そんな気分で来たわけじゃないぞ。いろいろな思いが空無辺処されたのを覚えている。口火を切ったのは児童会長だった。

「この子があなたのこと好きなんだって。付き合って欲しいって言うんだけどいい?」

何を言っているのだろうかこの人は。そんなの断れないし、いや、いいって言うにしてもなんて言えば、、、えぇっと。。。。。気づくと私は、ただうなづいて、その場を駆け足で去っていた。その日、私は女の子と正式にお付き合いすることができた。嬉しかったけど複雑で、兎にも角にも何かが変わったと思えたのだ。それでもお腹は痛いし、いじめは変わらなかったのだが。結局その女の子とは自然消滅したのだが、私の何かを変えてくれた女神だったのだと信じている。

 

第五節 逃亡

 さて話はそれたが、いよいよ受験の日を迎えた。小学校受験は正直かなり倍率が高い。単に3倍と言えば少なく聞こえるかもしれないが、そもそも受験するのはそれなりに模擬試験などで名前を残す強者ばかりである。模試で名前を見たと言う人がわんさかいる中での受験なため、実質的な倍率は非常に高いのだ。結論的には私は合格したのであるが、今考えてもこれも奇跡である。合格の発表はこれまた特殊である。合格発表日、もちろん自宅に通知が届くのであるが、それよりも先に学校に通知が届くのである。つまり、小学校の先生が一番先に合否を知るのである。教師から言われた言葉は、「早く帰りなよ」だった。それから一ヶ月。私はなんとか罵声を耐え切った。ザイロアポロ、ナルシスト。そんな言葉は最後の最後まで浴びせられた。それでも当時の私は無敵だった。だってもうこいつらとは違う世界に行くのだから。きっとこの学校に行けば、みんな休み時間には本を読み、授業は静かで、先生が起こり出すようなこともなく、淡々と日々を過ごす、そんな未来が待っているのだ。口が悪い奴らと会うことなんかもうなくなる。僕は勝ったのだ。

 卒業式が近づくと、やっぱり私は無敵だった。何を考えたか、私は答辞を読もうと考えたのだ。サプライズでの冬至。先生に内緒で読めば私も目立つことができる。今まで悪い目立ち方をしていたのだ。最後ぐらい、いい人として卒業したい。そう思った。この時の私はひどい顔をしていたと思う。最後だからと、ニヤつきながら、計画を進めた。壁はたくさんあった。卒業生に答辞を読んでいいかを聞いて周り、先生の一人に計画を伝え、文章を作り、服の中に隠し。とにかくこのこそこそした感じがたまらなく楽しかった。いい子を演じようとしているのに、何か悪いことをしているような感じがして、たまらなかったのだ。

 迎えた当日、私は号泣した。そしてなんとか読み切った。もうほとんどそれ以外は覚えていないが、あと2つ記憶していることがある。1つは隣に座っている女の子から、「あなたは泣くと思っていた」と言われたこと、そしてもう1つは、卒業式が終わった後にみんなで、遊具で遊んだことだ。いや、私は遊んでいない。もうこんなところに興味はない。私は勝ったのだ。これからは違う世界で、私の人生を歩むのだ。そして私は大きな期待を持ってこの果てしなく落ちていく監獄のような、それでいて数えきれないような動物がちみどろに入れられた歪な鳥籠のような場所から逃亡したのだった。

 

 

 

第六節 考えてみてください

 さて、ここまで読んでいただけた方は畢竟、私の生い立ちに興味を抱いていただけたのでしょう。ここで今一度考えてみていただきたいのです。これぐらいで「いじめ」ですか? あなたはこの一連の出来事を読み、感じ、そして受け入れた上で、いじめだと感じることができたでしょうか。いや、その判断ができないから私はこの文章を書いているのです。少し長くなってしまいましたね。小学校はこれで終わりです。1つの学校としては一番長く通うはずなのに、こんなに愛着がわかないものでしょうか。さて、ここから中学校へと進んでいきます。小学校では逃亡できましたが、この鬱憤は一体どこに流すことができたのでしょう。私にもわかりません。流しきれない憎悪は大きなうねりとなって飲み込まれていくのです。中学校ではそれこそ飲み込まれて、ねじ曲がって、擦りとられて、歪んでいったのです。さてそろそろ次にいきましょう。ここからが本番です。私と、いじめっこと、そして教師との戦いです。この三者はまるで夏の大三角のように、いや、冬の大三角でもいいのですけど、交わらないものの代名詞のように思えてならないのです。また考えながら読んでいただきたいと思います。これぐらいで「いじめ」なのかと。